2010年04月17日

東海道「府中の宿」入り口の呉服店

以下は、ご当主からうかがった話です。

 現在、国道1号線から斜めに入った道が静鉄の春日町駅手前で交差するあたり(某書によれば、現在のトモノ薬局さんのところ)に、府中の宿の東の入り口(木戸)にあたる「横田見附」があったと言われています。江戸時代には街道の左右に石垣の土手を組んで番兵が詰めていたそうです。(ちなみに西の見附は、安倍川の川越所、現在の本通川越町にありました。)ここから、東海道沿いに下横田~上横田を経て、本陣のある伝馬町に至ります。マルヒラさんは、この下横田の呉服店。つまり、東海道を江尻(清水)の宿から入ってくる旅人だけでなく、現在の静岡市の南にあたる曲金や小鹿の村の人々が駿府の町に入ってきて最初に目にする呉服店の一つだったんですね。当代の子ども時代の記憶では、自転車の荷台に山ほど反物を積んで、小鹿村(丁目のない、小鹿○○番地の一帯が古い小鹿です)まで商いに行っていたそうです。かつて小鹿から有度山にかけてはお茶の産地で、お客さんの中には、こうしたお茶農家もたくさんいたというお話でした。
東海道「府中の宿」入り口の呉服店
 
 掲載したポスターを見てください。呉服の下にある「太物」(ふともの)とは、農家の人たちが着る木綿の野良着のこと。「洋反」とは、モスリンやメリンスといわれる毛織物で、幅広の反物を半分に折って普段使いの着物にしていたそうです。つまり、昔の呉服店は、いわゆる呉服だけでなく、服飾一式を売る衣料品店だったんですね。




Posted by 猫娘。 at 18:42│Comments(0)店主の薀蓄
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